大学受験の時、柔道の国体の強化選手だったのを言い訳で勉強をしなかったため。歯学部希望していたが見事に失敗して滑り止めの土木にいきました。
大学に入った6月に理解者で兄からのプレッシャーをはらってくれた父上が他界した。一年生の前期は6割の単位を落とした。全てに無気力で家庭は兄の独裁ど家が帰らないで休みは友人の家に転がり過ごしたから単位を落とししぎちめ大学から母親に進級警告が届き泣かれた。
そのため後期に挽回して二年生になれた。そして彼女もてまきて東北で順調な学生生活を東京の重機関係者に助けられて楽しくすごしました。就活も調子よく5件の内定をもらい建設会社に就職しました。バブル前に自分で選ぶがわになったのは異例だった。