国交省の河川工事で知り合った元建設会社社長で自己破産した契約社員の施工管理の8歳上の人とCADオペの28歳の派遣社員の女の子が工事が終わった後に一緒に仕事をしていきたいといわれて会社を設立する決断をして会社を始めた。
初めてすぐに仕事を少しずつ受注していきました。しかし、8歳上の人がガンの再発で3ヶ月後入院してその3ヶ月後に他界した、さらにCADオペはデザインも事務もこなしてくれていたのがな急に出勤態度がいい加減になったので叱ったら会社のデータを抜いて取捨拒否したため親に話をしてデータを返却してもらいやめてもらった。従業員はゼロになった。
ハローワークに従業員を募集しながら下請けと毎日、監督からオベから土方までやりながら働き大手ゼネコンとも2社くらいは直接の取引をし3人の従業員もできハウスメーカーからも直接取引をできるようになったが他の仕事はやりにくい難度が高い仕事だけがくるだけで安定した仕事がないため人を増やしていけないで成長がなくなってきたときに頼まれた仕事で未払いが七百万はめられて家の給料から貯金もかき集め社員の給与から他の業者の支払いした。その時に東北の震災が起きた。
父親が他界した大学時代にお世話になったから火事場泥棒はやりたくなかったからゼネコンからら依頼がくるまでは東北に行くのは我慢して財力がないから2年後に従業員を残して東北に行き復興の仕事に行き新たに東北で作業員を採用して仕事をしていたら福島てまたタダ働きをさせられて裏にはめられて借金まみれの始まりが始まったのが40代でした。一度は取り返したのに2回目を味わったのが40代最後でした。